塩論争-無益なこと
The Salt Debate – Far More Salacious Than Salubrious
By Morton Satin
Blood Purification 2015;39:11-15 2015.01.20
要約
総合的な健康結果を改善する手段として減塩を支持する科学的エビデンスはまだ確認されておらず、著しい論争を起こし続けている。前の減脂肪のように、減塩は世界の食品産業で主要な研究項目となってきた。認められている世論に従うために、最大の多国籍食品会社は現在の勧告値に合わせるために大幅に減塩すると公約をした。過去において公衆保健当局が脂肪を批判した時、この公約は妥当なアプローチであり、このことは我々の現在の肥満流行に急に陥らせていると多くは信じている。総合的な健康結果に及ぼす公表されている科学的エビデンスと保健当局による減塩政策を積極的に促進させることの間の矛盾は‘…予防医学の歴史における最大の勘違い’としてこの戦略の特性を鼓吹し、他の機関は‘…この事例における科学的不確定の隠蔽は、科学の終焉でもなく良い政策でもないことを促進させてきた間違いである’と結論を下した。政策立案者達は集団規模の危険性を制限する試みのために限られたエビデンスに直面する行動をしばしば強要されるかもしれないが、政策がドグマよりもむしろエビデンスに基づくものであるならば、計画している議題を否定する全ての新しいエビデンスを否定する幅広いライセンスとしてこの例外は取り上げられない。脂肪の事例と同じ様に、減塩戦略は予防医学の‘トロイアの木馬’として十分に資格を与えている-大きな価値と言う本質的でない面を持った政策であるが、同時に集団に対して重要な危険性を隠蔽している。
総合的な健康結果を改善する手段として減塩を支持する科学的エビデンスは決して確固としたものではなく、医学界で論争を起こし続けている。過去における脂質低減のように、今や減塩は多国籍食品産業の研究予算を支配しており、業界では多くの会社が現在の勧告値に合わせるために大きな減塩に対して公約をしてきた。減塩は国家や国際的な公衆保健機関によって活発に促進されており、30%の摂取量低下が第66回世界保健総会で採択され、それは2011年の非伝染性疾患の予防管理に関する国連高官サミットに続くものである。
しかし、この問題に関して数年間沈黙した後に、現在の塩摂取量勧告値が基づいているベンチマーク-最初の塩摂取量参考値は全ての他の食事参考摂取量を設定するために確立されたプロトコールに適合していなかったことが今や認識されている。
塩の参考摂取量の270ページは次のように述べている、‘投与量応答試験からのデータが不十分であるので、推定平均要求量(EAR)は確立されていないので、したがって、推奨食事許容量は得られない。したがって、十分な摂取量(AI)が提供されている。’さらに270ページでは‘塩についてのAIは若い成人について3.8 gと設定されており、それで食事全体で他の重要な栄養素の十分な摂取量を賄えることを保証している…’‘老人と初老の人々についての十分な塩摂取量は低いエネルギー摂取量に基づいて幾分少なく、50 - 70歳の男女については3.3 g/d、71歳以上の老人については3.0 g/dが設定された。’同じ資料の271ページには‘成人については、5.8 g/dの上限が設定されている。’と述べている。
しかし、 ‘…食事全体で他の重要な栄養素の十分な摂取量を提供していることを保証するために’ AIが3.8 g/dに設定された説得性のないエビデンスが提供された。事実、最新のエビデンスはこの立場を否定している。
もっと批判的に、‘食事参考摂取量:栄養表示と栄養強化についてのガイド基本方針’の3ページは次のように設定した値について正式な工程を明らかに詳しく述べている。
十分な摂取量(AI):観察された、または経験的に決定された近似値に基づく
推奨される1日当たりの平均摂取量または十分であると仮定された明らかに
健康な人々のグループによる栄養摂取量の推定値が使われ、その時、推奨量は
決定されなかった。
有名なインターソルトや後の研究からの利用できる全てのデータは3.8 g/dもの低い塩摂取量で唯一の健康な集団はないことを明らかにしている。したがって、塩摂取量を設定するために使われた基礎値は全ての栄養摂取基準値の設定について指導的な設定を無視した。
上限に対する参考で、同じ‘食事参考摂取量:栄養表示と栄養強化についてのガイド基本方針’の3ページで述べていることは:
許容上限摂取量(UL):全集団のほとんど全ての個人に対して悪い健康結果の
危険性はないことを提案する最高の1日当たり平均栄養摂取量
再び、5.8 g/dの上限値以上の塩摂取量から結果を出した全集団におけるほとんど全ての個人に対する悪い健康効果の危険性を示す単一集団は世界にはないことを全ての利用できるデータは確立している。実質的に世界のあらゆる健康的な集団はその数値以上を摂取していることは意味があるからである。過去50年間にわたる健康状態と寿命に継続している劇的な改善は現実の塩摂取量との適合性を示している。
総合的な健康結果に関する発表されているエビデンスと公衆保健当局による減塩政策の積極的な促進との間のこの矛盾はこのアプローチの特性を鼓吹してきた、…この場合の科学的な不確実性の隠蔽は、科学の終焉だけでなく悪い政策として推進してきた間違いであったので、‘…予防医学の歴史と他の歴史における最大の勘違いが結論となった。’政策立案者は科学的論争と集団レベルの危険性を抑える試みるための保留事項に直面して行動することを強いられることは理解できるが、政策がドグマよりもエビデンスに基づいているとすれば、計画されている議案を拒否する全ての新しいエビデンスを否定するための幅広いライセンスとして、この譲歩は解釈されない。
1977年のマクガバン栄養委員会のヒアリングで、マクガバン上院議員が社会に対して脂肪摂取量に厳しい注意を促す前に強い科学的エビデンスを待つように警告したとき、彼は次のように答えた、‘…研究科学者達が最後の全てのエビデンスが破棄されるまで待つと言う贅沢を上院議員達は持っていないと私は主張するだけである’。斯くしてアメリカ人の食事ガイドラインの最初の設定から35年間の長い冒険が始まり、それは信じられないほどの費用、誤情報、間違った指示、健康結果に対する危険率増加、アメリカの消費者について肥満の流行と言った冒険である。多くの意見と結び付いたわずかな科学的エビデンスに基づいて社会の行動を操作することは官僚機構の力に対する証明である-良いことを追って悪いことを達成する能力。塩摂取量の場合も、このアプローチは変わらなかった。
塩摂取量についての我々の理解は多くの神話情報によって影響されてきた。加工食品のために我々は以前よりも今ではずっと多くの塩を摂取しているとほとんどの人々は信じている。これは事実ではない。我々が歴史的な塩摂取量に関して持っている僅かに公表されているエビデンスは1812の戦争まで遡った軍事記録から来ている。世界中の戦争犯罪人と兵士の糧食についての軍事記録に基づくと、西欧社会は1800年初期から第二次世界大戦の終わりまで、16 — 20 g/dを摂取していたことを利用できるデータは示唆している。1812年のアングロ-アメリカン戦争中に、高い戦費にもかかわらず、塩の配給は18 g/d に達していた。イギリスのダートムーア監獄に投獄されているアメリカ人の戦争犯罪人は‘…自由の国で育った男性についての不十分で貧弱な食事、そして多くの甘ったるい果物を満喫するためにかつて使われた…’と貰っている9 g/dの塩に痛烈に文句を言った。アメリカの戦争囚人に与えられた糧食に関する機密扱いを解かれた第二次世界大戦の記録は140 g/w(20 g/d)の給餌を示している。
第二次世界大戦後、食品保存の主要な手段としての塩に冷蔵が置き換わり、アメリカ合衆国(と他の諸国では幾分遅れて)の塩消費量は約半分の9 g/dまで劇的に低下し、24時間尿中ナトリウム排泄量データに基づくと、過去50年間変わらないままであった。(病院の生理食塩水(0.9%NaCl)点滴の平均値は3 L/dで、27 gの塩量になることに注意すべきである)。
この塩消費量の突然の低下は社会的な圧力、政策の変化または公衆保健当局または政府の食事ガイドラインからの影響もなく生じたことは興味深い。塩摂取量の大きな低下は、より新鮮でより魅力的なコールド・チェーンに基づく食品供給に努力もなく移行した単なる結果である。この大きな低下がある消費量で、それ以上低下しないで止まった(1950年代半ばに)ことはさらに興味深い。
1世紀以上ものあいだ、塩/高血圧仮説は、個人の意見や科学的エビデンスによってとした個人の信念によって大きな影響を受け、高度に論争問題として残ってきた。20世紀の始まりに、塩化ナトリウムの塩化物部分は高血圧者の血圧上昇の原因として考えられたが、その後の研究はこの関係をナトリウムに移動させた。しかし、当時でも、この考えに対して反対があった。明らかであったことは、完全な論争は科学的エビデンスの信頼できる根拠よりもむしろわずかな患者の事例研究次第で決まることであった。さらに、一人の医者の仕事は他の医者委によってめったに再現されないので、塩/高血圧論争は再現性のあるエビデンスよりもむしろ人を動かせずにいられない主張によって特徴付けられた。減塩の最初の提案者の一人はアレンである。高血圧者が実験的に塩化物濃度の上昇を示したことが見出されなかったら、彼等は確実に間違って解析されたとアレンは明言した。1922年に、シェリルと共にアレンは本態性高血圧患者を低塩食にし、明らかに成功したが、彼等の結果は他の医者達によって証明されず、その治療は次第に見捨てられた。
1940年代に、悪性の高血圧を治療するためにケンプナーによって行われた厳しいライス・ダイエットは厳しく塩摂取量を減らし、カリウムのほとんど20倍になっている習慣的なNa/K比を逆転させるために非常に多い果物や果物ジュースを与えた。ケンプナーはNa/K比の逆転を減量の影響を考慮せず、観察された血圧低下についての原因は減塩だけと主張した。彼の食事の評判に沿って、彼の名声は塩/高血圧仮説についての支持に大きな移動を起こした。
ブルックヘブンのルイス・ダールは1950年のケンプナー食を研究し始め、1962年までにアメリカ合衆国で減塩の主導者となった。エビデンスに十分支持されない塩に関する多くの意見をダールは支持した。一例として、彼の論文‘本態性高血圧の発症における塩摂取量の潜在的な役割’の序文で、近代まで食品調味料として塩の幅広い使用は稀であったと彼は述べた。しかし、ヨーロッパやアジアでは二千年以上も前から食品保存剤と調味料(総合レビュー自身とソースの中で)として両機能を果たしてきた。
ダールの基本的な研究は極端な事例として限定されるだけの実験条件下のラットで行われた。彼は塩化ナトリウムについてのLD50に関する塩の境界量をラットに与え続けた。それは人に換算すると560 g/d以上になる。これらの条件下で、何匹かのラットは実質的に血圧上昇を起こさせ、これは塩との高血圧の関係のエビデンスであるとダールは支持した。
塩摂取量と高血圧との関係における一新された関心は有名なインターソルト・スタディを促進させた-世界中の32ヶ国52センターから20 – 59歳の男女10,000人以上の試料に基づく観察研究である。インターソルトの目的は多くの国々からの試料に基づいて電解質排泄量と血圧との関係を総合的に標準化された方法で調査することであった。報告書は20 – 59歳の男女10,000人以上で血圧との関係で24時間尿試料からナトリウム排泄量、カリウム排泄量、Na/K比を分析し、体格指数、アルコール摂取量を混乱変数として考慮した。
世界中のほとんどの集団は5.8 – 11.7 g/dの狭い範囲の塩摂取量を調べているけれども、2.9 g/d以下の摂取量である原始種族の僻地グループもあった。研究の決定的な結論は、非常に低い塩摂取量のインターソルト集団は低い中央血圧値、低い高血圧罹患率、加齢に伴う血圧上昇がないことを示しており、これらの種族の高血圧の低い罹患率は低塩摂取量の限定的な結果であると言う結論に至った。4ヶ所の低塩摂取量僻地集団を解析に含めると、塩摂取量と血圧との直接的な関係が確立された(図1)。しかし、この同じ僻地グループを含めないと、全ての他の集団について塩摂取量と血圧との間に述べられている関係が逆であった。
残念ながら、この結論は遺伝的情報を利用しないで出された。インターソルト・スタディで低塩摂取量の4集団のうち2集団-ヤノマモ・インディアンとシングー・インディアンはアメリカ原住民-心血管疾患や高血圧と関係するD/D遺伝子型をほとんど持っていないか非常に低い頻度の熱帯多雨林に住む集団である。これらの個人は心血管疾患を発症させる危険率が非常に低い。それにもかかわらず、データはどの年齢層でもカフカス人よりも高血圧性脳障害集団でわずかに高い血清トリグリセライド濃度を示している。僻地グループの他の一つの集団(パプア・ニューギニア)もD/D遺伝子型の低い発現率が優勢な地域である。4番目の僻地(ケニア)の遺伝子型は発表されなかった。
したがって、最も有力な塩/高血圧研究は色々な方法で解釈され、その通りであった。それにもかかわらず、インターソルトは我々が現在国際的に使っている食事参考摂取量についてのステージを設定し、遺伝的情報を利用しないで47歳の寿命しかないヤノマモ熱帯多雨林居住者(最低塩摂取量者)が加齢に伴う血圧上昇を最小にする低塩摂取量がどれくらいかと言う事例として取り上げられた。
減塩に関するごく最近のIMO(医学研究所)報告書は利用できるエビデンスの限界を認識しており、塩摂取量と最も直接的な健康結果に及ぼす有益または有害な影響のいずれかとの関係を必ず支持することはないことを示した。幾つかの新しい研究は限られた利益に基づいて集団全体に減塩させる考えに疑問を呈してきた。一方、他の研究は全ての実行中の減塩主導の中心として役割を果たしている現在の勧告値と関連した潜在的な危険性に焦点を置いてきた。ほとんど全ての事例で、これらの危険性は、塩摂取量が7.1 g/d以下に下がると、レニンーアンジオテンシンーアルドステロン活性の急速な上昇と関係している。
エビデンスにおける未解決の論争と論争が生じてきた容認できない習慣にもかかわらず、全ての公衆保健当局による現在の塩摂取量勧告値について圧倒的な支持が続いている。始めに脂肪摂取量を取り巻く嵐のように、減塩戦略は予防医学の‘トロイアの木馬’として十分に制限しているかもしれない。大きな価値と言う外面的な正面を持った政策であるが、同時に集団に対して重要な危険性を隠した。疑問は、トロイアの木馬が果たした役割のように、我々は科学的エビデンスまたは設立願望の優位性に注意を払う自制心を持つかどうかである。