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論評:本態性高血圧症の発症における塩摂取量の潜在的な役割

Commentary: Possible Role of Salt Intake in theDevelopment of Essential Hypertension

By Niels Graudal

Int. J. Epidemiol. 2005;34:972-974

  (この論文は塩摂取量と高血圧発症率を関係付けた有名なダールの疫学調査論文が再掲載されたものである。この論文について現在の学術レベルで減塩懐疑派の筆者が論評している。筆者は全ての死因から考えると、現状の塩摂取量が最適との論文を発表している。)

 塩は哺乳類の生化学的構造が築かれた基礎物資の一つである。食事で塩が摂取できないと災厄、すなわち死んでしまう。それでも塩は何人かの権威者によって酒やたばこと比較できる程度に有毒であると考えられている。どうして塩がこの魅力のない状態になってきた哺乳動物の唯一の必須成分なのか?2004年現在、この背景には正に100年間の歴史があり、この歴史でLKダールは重要な役割を演じている。本論評の目的はダールの論文のひとつである1960年に発表された‘本態性高血圧症の発症における塩摂取量の潜在的な役割’考察することである。この考察をするためには論文が書かれた歴史的な状況を考慮して論文を考えことが重要である。

 6人の患者で塩摂取量と血圧との関係を示したアンバードとブロチャードの論文から近代的な塩物語は1904年に始まった。これらの観察に基づいて、彼等は塩-血圧仮説を立てた。その後、1907年に結果はローウェンスタインにより反対され、その時から塩-血圧仮説は仮説支持者と懐疑者との間の論争の根拠となってきた。これから我々が学べることは、塩-血圧仮説と論争は最初に2,3の事例史に基づいて前世紀の最初の10年まで遡る。塩化物イオンが重要な役割を演じているとの考えで始まったが、1921年のブラムによる論文で、主要な要素はナトリウムであると次第に結論されるようになってきた。その時に、高血圧患者に厳しい減塩を勧めるアレンの勧告を受けたアメリカで論争が始まった。その後の数年でアレンの勧告を支持する結果が何人かの著者らによって確認も論破もされたが、1930年代後半中に減塩の採用は後退した。1944年とその後の数年に塩論争がケンプナーのライス・ダイエットの紹介で復活した。ダールは1950年ごろ舞台に登場し、1975年に彼が死ぬまで、彼は多分、塩-血圧仮説に対する最も重要な貢献者であった。しかし、1949年にダールが登場する前に、チャップマンとギボンズはこの分野に関心を持っている誰もに大いに勧められていた優れた論文で最初の45年間の塩論争をレビューした。彼等は、ほとんがアランまたはケンプナーの原理に従って低塩食で治療された全部で1573人の患者に基づく30人以上の著者による論文をレビューした。

 最近になって塩論争の政治的な観点がサイエンスでレビューされた。この論文で12点の目安が述べられ、最初の目安は1972年からのダールによる論文であった。これは彼の研究の重要性を強調している。

 1960年の彼の論文の序文でダールは彼の立場を明らかにしている。すなわち、塩は体に有害である。塩は脱力、発癌性物質やアテローム発生因子、後にはたばこの巻紙、アルコール、脂肪と比較される。塩の必要量は実際の摂取量よりも少ないとの主張からダールは始める。これは正しい。ほとんどの人々は必要量以上の塩を摂取しているが、西欧諸国ではこのことは全てのミネラル、ビタミン、エネルギー源、水にでさえも同じである。原始社会の人々は非常に少量の塩摂取量で十分であると言う記述の中で、ヒトが大量の塩を食べなくても自然に適応すると述べている。しかし、これが本当であれば、どうして自然の神は人間にナトリウムを保持し排泄する優れた器官(腎臓とレニンーアンジオテンシンーアルドステロン系)を与えたのであろうか?ある人々は多くの塩がある地域で生き、他の人々は塩が欠乏している地域で生きることをあたかも自然の神は予知していたようである。その上、ヒトが食品の腐敗を避け、食品を保存するために塩を使い、ヒトが直接的にアルドステロン拮抗剤(スピロノラクトン)、間接的にアルドステロン拮抗剤(ACE阻害剤)、そしてナトリウム利尿剤(利尿剤)を創るだろうことを自然の神は予知していたのかもしれない。西欧諸国では、高血圧だけでなく心不全患者の数百万人にも影響を及ぼすこれらの治療による副作用のために、潜在的に危険な状態である低ナトリウム血症で病院に入院させられる患者数は増加する。第二に、ダールは塩摂取量を考察し、24時間尿中ナトリウム排泄量の測定はナトリウム摂取量の優れた測定法であると結論している。ダールはこれを示す研究に寄与し、今日ではこれは十分に確立された事実である。塩摂取量は集団間と集団内でも大きく変わることをダールは示し、1日当たり23gの超過でも体内ナトリウムの循環率に大きな増加をもたらし、そのことは生理学的な関係を持っているかもしれないと彼は主張している。これらの生理学的な関係には血圧上昇も含んでいることをここでダールは説明していると私は思うが、事実はその仮説については何の科学的実証もないことを示している。次の章では、ダールは動物、特にラットで高血圧を誘引する塩を扱っており、引用されている研究は、慢性的な過剰の塩給餌がこれらの動物の著しい部分に高血圧を誘引している記述を支持している。しかし、1979年にこれらの研究でのラットに与えられた塩の量はヒトでは1日当たり約569 gに相当する、すなわち、西欧諸国の平均摂取量よりも50倍も多いことをシンプソンは指摘した。したがって、これらの結果は多分、ヒトについては生理学的に適切ではない。

 ヒトに場合には、‘この考え(減塩)は非常に幅広く受け入れられ使われているので、拡張は明らかである’とダールは述べている。その後、ダールはパイロット研究を行い、その中で参加した人々は生活中の塩摂取量に従って低摂取量、平均摂取量、高摂取量の3グループに分けられた。塩摂取量が多いほど高血圧発症率は高くなることを彼は発見している。これに続いて横断的な集団研究で集団の高塩摂取量と高い高血圧発症率との間に同様の関係を確認している。

 これらの記述のいくつかに私は焦点を当ててみよう。‘拡張は明らかである’との権威主義者の主張はもちろん論証ではない。チャップマンとギボンズから1949年より前の文献は議論があり、コントロール研究を欠いていることを我々は知っており、ダールが述べている追加文献は全て制御のない観察研究である。パイロット研究に関しては混乱と偏向を避けるために使われた測定値に関する詳細は述べられていない。例えば、血圧が盲目的に記録されたかどうかについては分からない。その結果、この研究の結果を評価することは出来ない。集団横断研究に関してこれは後ろ向きであり、したがって、混乱因子について訂正することは出来なかった。混乱因子は結果を説明できないことをダールは述べさえもしなかった。グライバーマンや我々のグループによる同様の研究やインターソルトは混乱因子について訂正しない設計でダールの結果を確認している。しかし、インターソルトによって混乱因子は調査され、これらについて訂正が行われた時、血圧と塩摂取量との関係はほとんどなくなった。さらに、4ヶ所の原始社会集団を解析から除けば、比較的文明化された48集団が残り、関係は実際には逆になった。これはダールの研究の不十分さを示している。ダールは1954年以来の自分の論文をレビューしている。しかし、塩の影響についての論争がずっと前から始まっている事実をダールが無視していることはがっかりである。さらに、少ないダールの塩仮説への言及が懐疑的であることは印象的である。これはダールの論文が文献選択の点でバランスを欠いていることを示している。したがって、バランスを取るものとして、私はチャップマンとギボンズの結論を要約することがこの点で新たに考えることになると思う。

 チャップマンとギボンズは1904年から1949年までの期間をレビューした。レビューした研究の結果は様々に変わったが、総合的に血圧に及ぼす減塩の有意な影響があったという傾向であった。しかし、十分なコントロール研究が全般的に欠如しており、他の治療法に関係なく高血圧は示唆と病院の環境だけに応答しているという事実を考慮していないとチャップマンとギボンズは結論を下した。ゴールドリングを引用して、チャップマンとギボンズは、‘コントロールされた観察が良いほど攻撃されないことが結果である’と述べている。他方、チャップマンとギボンズは、‘食事制限以外の要因で結果が出ているかもしれないので、全てのこれらの結果が無視されているだけと主張することは無駄のように思える’とも述べている。したがって、チャップマンとギボンズはバランスした意見を出し、減塩が血圧に及ぼす可能性を否定しなかった。彼等はコントロールのある研究を主張した。それは1949年でも合理的な要求であった。既に1898年に後にノーベル賞受賞者となったフィビガーはランダム化比較研究について述べたが、デンマークでだけであった。比較研究について国際的な進歩は1948年であったが、既に1945年にフレイサーは‘リューマチ疾患会誌’でリューマチ関節炎に関する黄金の効果に関する二重盲検ランダム化比較研究を発表した。その結果、人に関して適正に設計された研究を行うために十分な方法論的対策が開発された。

 要するに、現在の状況でダールの研究を見ると、それが信頼のできる研究であると考えることは難しい。残念ながら、出版時期を考慮しても研究を受け入れることも難しい。1960年に主題についての聡明で批判的な研究やレビューは行われていたことを歴史は示しており、ダールが我々に示した解析よりも方法論的にもっと良くずっと批判的解析を行うために十分に科学的な方法が開発されていた。公平であるために、ナトリウムの24時間尿排泄量はナトリウム摂取量について信頼できる測定法であることをダールは示し、彼のラットによる実験研究を通して、塩感受性ラットに塩を過剰に投与した時の生理学的効果について価値ある情報を提供した。さらに、集団間で塩摂取量と血圧とを関係付けることを彼が初めて行い、それ故、後のインターソルト・スタディで重要な示唆となった。したがって、疑いもなくダールは塩の代謝と生理学的効果について重要で意味のある結果に貢献した。しかし、私の結論は、ダールが彼自身の結果に無批判で、結果が耐えられる以上の結論を出したことである。

 ダールの研究を今日の状況に照らしてこの論評を終えよう。ダールは高血圧の医学的治療法がない時代(1950年頃)に塩と血圧の争いに貢献し始め、減塩効果のランダム化研究の時代が1973年に始まった時に彼の貢献は終わった。1950年に塩論争は塩摂取量と高血圧との関係についてであった。1973年以来のランダム化研究は今ではこの論争から除かれている。支持者と懐疑者がメタアナリシスで、減塩は高血圧者で約4/2 mmHg血圧を下げることに同意したからである。皮肉にもその間、我々は非常に多くのより効果的な医学治療を得てきたので、高血圧治療における減塩の立ち位置は多分、むしろ重要でなくなった。今日では減塩よりも患者に効果があり受け入れられ易い食事法さえある。すなわち、果物や野菜を食べることである。しかし、ランダム化研究は減塩の効果を高血圧だけでなく、健康で正常血圧者でも約1 mmHg下げることを示した。新しい論争は、全集団に適用すれば、この効果が集団の罹患率や死亡率に有益な効果を及ぼすかどうか、この証明されていない仮定が集団の減塩に一般的に勧めるべきであるかどうかである。

 チャップマンとギボンズから別の挑発的な引用をしてこの評論を終わりたい。‘多くの(論文)は歴史的な関心だけに取りつかれている。いくつかの点で欠陥があるが、他の論文は後にもっと価値のある研究に導く示唆を含んでいる。それでも他の論文は彼等本来の研究と全く釣り合いを失って影響を及ぼしてきて、後の研究者達の一部に膨大な量の無駄な研究努力をさせる原因となっている。’その関係で、今や塩論争は約1 mmHgレベルの効果を議論していることを考えると、それが100年間も努力する価値があるのか?と尋ねたくなる。